才能と欲しい能力は一致しない!ないものねだりのアイウォンチュー!?③
第43回
「ないものねだりのI Want You」
松本隆先生と筒美京平先生のゴールデンコンビが作詞作曲した、C-C-Bさんの9枚目のシングルです。思い入れがある訳ではないのですが、今一番気持ちが上がるマンガ『アオアシ』を読んで、ないものねだりは『愛である』と気づいたお話しです。
(松本・筒美両先生、CCBさんについての記事ではありません🙇♂️
漫画アオアシの主人公アシトの俯瞰の目のエピソードは、才能と欲しい能力が一致しないことの象徴として非常に興味深いですよね。
では、ここから「ないものねだりは愛である」という仮説を検証するために、いくつかの視点から考えてみます。
1. 心理学的視点
人間はしばしば、自分にないものを欲しがる傾向があります。これは、自己成長や自己実現の一環として自然なことです。愛もまた、自己の欠けている部分を補完するための欲求と捉えることができます。例えば、他者に対する愛情や関心は、自分が持っていない特性や能力を他者に見出し、それを補完しようとする行動とも言えます。
2. 哲学的視点
哲学的には、愛は自己超越の一形態と考えられます。プラトンの「饗宴」では、愛は美や善を追求する欲求として描かれています。自分にないものを求めることは、自己を超えて他者や理想に向かう行為であり、それが愛の本質であるとする見方もあります。
3. 社会学的視点
社会学的には、愛は社会的な絆や関係性の中で形成されるものです。ないものねだりは、他者との関係を通じて自己を補完し、成長するプロセスとも言えます。例えば、パートナーシップにおいて、お互いの欠点を補い合うことで強い絆が生まれることがあります。
4. 生物学的視点
生物学的には、愛や欲求は進化の過程で生じた適応行動と考えられます。例えば、パートナーを選ぶ際に、自分にない特性を持つ相手を選ぶことで、子孫に多様な遺伝的特性を伝えることができます。これにより、子孫の生存率が高まる可能性があります。
5. 文化的視点
文化的には、愛や欲求は社会や文化の影響を強く受けます。異なる文化や社会では、愛の形や表現が異なることがあります。例えば、ある文化では自己犠牲的な愛が理想とされる一方で、別の文化では個人の幸福を重視する愛が理想とされることがあります。ないものねだりは、文化的な価値観や理想に影響されることもあるようですね。
6. 経済学的視点
経済学的には、愛や欲求は需要と供給の関係として捉えることができます。自分にないものを求めることは、希少性や価値を感じるからです。例えば、特定のスキルや特性を持つパートナーを求めることは、そのスキルや特性が希少で価値があると感じるからです。
7. 宗教的視点
宗教的には、愛は神聖なものとされることが多いです。多くの宗教では、愛は神や高次の存在からの贈り物とされ、自分にないものを求めることは、神聖な愛を追求する行為とされることがあります。例えば、キリスト教では「隣人を愛する」ことが重要な教えとされています。
「ないものねだりは愛である」という仮説への、ダイバーシティな視点は一定の妥当性があり、愛や欲求の複雑な側面について、より深い理解へと導いてくれるようです。
アシトのエピソードも、彼が自分の才能を見出し、それを最大限に活かすことで成長しました。私たちも自分にないものを求めることで自己を超え、成長することができます。
ないものねだりは、やっぱり愛でしたね❤️
最後まで読んでいただき、ありがとうございました😊
また、来週!
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